真我布武 ー真我で歩いてゆくー

<"布武"とは本来歩くという意味です>

真我で歩く日々の気づき

またまた、懐かしい思い出がよみがえってきました。

あの成功哲学セミナーです。

セミナーのカリスマ講師はこんなこと言ってました。

私はテレビも新聞も見ない、ラジオも聞かない。毎日毎日殺人だ戦争だのネガティブなニュースであふれている。そういう情報を毎日毎日浴びていたら、ネガティブな影響を受け、自然と潜在意識がネガティブになり心が落ち込んでしまうだけ。だから私はテレビもラジオも新聞も一切ない生活をしている。でも一度として困ったことはない。必要な情報は自然に入ってくるし、テレビもラジオも新聞など無くても、生きてゆけるんです。皆さん、どーですか、すごいでしょう。

そんなような事を豪語していました。

真我に目覚めた今、私はずいぶん稚拙な発言だな、とつくづく思います。

テレビ、ラジオ、新聞に影響されないと言っていますが、十分影響されているし、ライフスタイルにまで影響されていると思うのであります。

テレビ、ラジオ、新聞を避けネガティブな情報が入らないようにしていると言いますが、その発想自体がもうすでに心や精神的に対し影響されていると思います。

また、テレビ、新聞、ラジオの無い生活を送るという時点で、ライフスタイルにまで影響されています。

本当に影響されないなら、テレビ、ラジオ、新聞見ても聞いても何を聞いても見ても「あっそう、そんなことが起きているんだ」と軽く受け流すはず、と思うのです。

また、カリスマ講師ほどの人なら、マスメディアの裏側やマスコミの本当の姿なんぞ知っていてしかるべきだと思うのです。

私もマスコミはマスゴミと言われるくらい、クズだと思っています。

きれいに言えば必要悪でしょうか。

たとえばしょせん、テレビ局、新聞社も民間企業です。

最終的には利益をあげるのが目的です。

テレビ局は視聴率を上げ、スポンサーを獲得しなければなりません。

新聞社は発行部数を増やし売り上げを上げなければなりません。

そのためには、あえて人々の注目をひくようなニュースをながし報道をしなければなりません。

簡単に人々の注目をひくには、ネガティブな情報が一番なのです。

人の恐怖心、不安、心配をあおるようなことが一番簡単に人々の注目をひくのです。

だから、四六時中ネガティブなニュースばかり、報道ばかりとなるのです。

最悪なのが、そのためには、情報の誇大表示、ねつ造、までやらかすと言われております。

また、時には政府や特定の団体などの圧力により、情報を捻じ曲げるということまでするらしいです。

だから、絶対に明るいニュースは流さないし、ポジティブな報道はしないのです。

これがメディアの裏側、マスコミの真実と言われております

だから、ゴミなんだといわれています。

私は真我に目覚めたせいもありますし、そのようなことも自然に学んだので、テレビ、ラジオ、新聞などのニュース、報道を見ても聞いても、あまり気になりません。

どだいそんなものに影響されるほど、私は愚かではない、とも思っています。

ちなみに、私はそれこそ、ゴミになるだけなので、新聞はとってません。

また、私はサッカーファンなので、テレビがないと試合が見れないので、テレビは必需品です。

今やテレビをネットにつなげば、レンタル屋さんに行かなくてもオンデマンドでテレビで映画も見れますしね。さらには今はペイテレビも充実しています。

ラジオも毎日聞きます。

リスナーの投稿がおもしろく、へ~世の中こんな人もいるんだなんて、思ってしまいます。

つまりは、取捨選択の問題だと思うのです。

せっかく在る文明の利器なのですから、全否定しないで上手く使えば良いのです。

あんなもの、、、という発想は、どこか学長のいう、あんな人・こんな人は世の中にはいない、のあんな人・こんな人に通じるのかなと思います。

なので、私はテレビ、ラジオ、新聞は一切見ない聞かないというカリスマ講師の発言は稚拙だな~と思ってしまうのであります。

あのカリスマ講師は今でも、私はテレビもラジオも新聞もない生活を送っていますが、困ったことはありません、皆さん、どうですか~、すごいでしょう、なんて言っているのでしょうか。

だいたい、テレビ、ラジオ、新聞を発明した人に失礼でしょう。

人々の役に立ちたいと思い、一生懸命開発したのですから。

それを全否定するというのは、愛がないですよね。

あの講師も早く真我に目覚めればな~なんて思ってしまいます。

今日も徹底真我。

真我の実践。

愛に生きる。